人口20万人を抱えるアドリア海沿岸で最大の港町である。海岸通りには風変わりな建造物
がある。古代ローマ時代の宮殿の外壁の中に民家は並んでいる。壁はローマ皇帝ディオクレティアヌスが建てた宮殿跡がそのまま旧市街になったという珍しい起源をもつ町。当時宮殿は200m四方の城壁に囲まれていた。城壁には4つの門があり金の門、銀の門、銅の門、鉄の門と呼ばれていた。宮殿が誕生した当時は海、銅の門には帆船が直接、横付けできるようになっていた。南門は舟で訪れる人々向けの入り口。いかにもアドリア海の海辺に建てられた宮殿らしい構造であった。
階段を下りて地下室に入る。巨大な空間が広がっている。建設的な地下室の役割は、宮殿の上部を支えることで、そのため地下と地上は同じ造りになっている。ディオクレティアヌス帝の銅像や、中世に使われた圧搾機などが置いてある。地上に出ると突然タイムスリップしたような別世界が目の前に広がった。
広場の両側には12本のコリント式の列柱が建ち並び、その列柱を優雅なアーチでつないでいる。
中世に建てられた建物に取り込まれてその1部になっている。
中庭には宮廷の玄関、1700年以上の歳月に耐えた入り口は、宮殿の建築群の中でもひときわ威厳に満ちている。優雅な宮殿建築というより、まるで軍の要塞のような構えをしている。軍人出身の皇帝がかつて自分が過ごしたローマ軍の運営をモデルにして建てられたのであろう?
大聖堂は時間で閉まっており残念だった。隣に13〜16世紀に造られた高さ60m鐘桜上がる。173段の階段を上がると、頂上から町の素晴らしいパノラマ見えた。赤屋根の家々、琥珀のアドリア海、沖合いには島も浮かんでいる。背後に迫るディナル・アルプスの山も見える。ちょうど夕日が落ちていくところだった、登ってきて良かった。 |